「これぞ西方裕之の真骨頂だなぁ~」―新曲「出世灘」(作詞:星野哲郎/作曲:徳久広司/編曲:野村 豊)を聞いて心の中でそう呟いたのは記者だけではあるまい。すこぶる評判がいい。聞けば「デビュー曲候補の1曲になっていた作品」と自らそう語る。2020年5月13日の発売、本来なら今頃キャンペーンで全国行脚の真最中だろうが、世界を震撼させている新型コロナウイルスの影響で活動は止まったまま。どうしているのだろう、と電話インタビューした。
「ほぼ自宅待機の状態です。買い物以外はほとんど外出はしていません。やったことのない自炊の毎日ですが、ほぼ冷凍ものです(笑)」と私生活をそう語る西方だが、心配したストレスはない様だ。


新曲「出世灘」
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デビュー曲候補は7曲ほどあったらしい。全て故・星野哲郎氏が書き下ろした。
「今回の新曲は『西方君が一日でも早く出世できるように“出世灘”というタイトルをつけたよ』と言って下さいました星野先生の言葉とともに三十数年ずっと温めていた作品です。自分の出身地(佐賀県)が漁師町だったこともあり、デビュー間もない頃は星野先生とはそんな話でよく盛り上がりました。最初のタイトルは『玄界灘』だったんですが、当時から僕自身も結構気に入っていた作品だったのでいつか陽の目を…そんな気持ちを持ち続けていました。キャンペーン先の楽屋ではギターを弾きながらこの作品をよく歌っていましたね。そうそう、昨年『KOBE流行歌ライブ』に呼んで頂いた時に楽屋で歌っていたらマネージャーの『改めて聞くといいなぁ~』―なんて言葉がディレクターに届き、発売することになったんです」。

デビュー前から星野哲郎氏のクレジットがついた作品は試聴もせずに買っていたほどの大ファン。今となっては貴重な星野哲郎氏が肉声で自分自身の生き様を切々と語る、星野ファンにとってはたまらない作品であり、若き日の西方裕之の熱唱(1988年発売「流れる~星野哲郎を唄う~」)がアルバムの雰囲気を増幅する至極の1枚!このアルバム『星野哲郎を唄う 星野哲郎ナレーション入り』は2011年3/23に追悼盤として再リリースされた。


追悼盤アルバム『星野哲郎を唄う 星野哲郎ナレーション入り』

西方は「遠花火」や「恋路川」等に代表されるように艶歌のイメージがあるがデビューシングルの「北海酔虎伝」(1987年/星野哲郎作品)は力強い男歌だったと記憶している。デビュー当時を西方は「最初は男歌一本でやっていきたい気持ちがあったことは否定しませんが『遠花火』で自分に敗北感を感じましたね。でも力強い歌を歌う様になってからは肩の力が抜けて歌える様になりました」とは正直な弁だろう。ま、艶歌であり男歌であり「売れてなんぼの世界」だけに路線に拘る必要はないだろう。

新曲について、これからのキャンペーンについて聞いてみた。
「新曲の手応えはすごくいいです。まだ本格的なキャンペーンはスタートしていませんので、エンジン全開してからがスタートになります。待ち遠しいですね。今年が星野先生の没後10年になりますのでいつもとは思い入れが違います」といつになく?張り切っているし、声も弾んでいる。
本格的なキャンペーンはもう少し先になりそうだが、自宅にいながらメディアへの電話インタビューのほか、YouTubeでの西方裕之ちゃんねる「西方裕之 ちょこっとカラオケ講座」では新曲のワンポイントレッスンを公開している。

「初めての試みなんですが、出来得る最低限の事はこれからもやっていきたいです。暇ですから自宅では好きなギターを弾きながら歌謡曲やフォーソングを歌ってます。切り替えが早いので何とかなるでしよう…」と笑った。
そんな西方も来年はデビュー35周年。「こんな状況下なので35周年の企画は未定です」と記念イベントについてはトーンダウン、一抹の寂しさを感じた。

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*記者のひとりごと*
西方とはデビューの時からの付き合いで今も気になる存在の1人である。デビュー当時は色白(今も色白だが)でおとなしい青年だった。今も口数は少ないが、今回の電話インタビューではいつもより口数は多く、こちらの質問にもそれなりに答えてくれた。顔を見ない方がいいのかいなぁ~(笑)。新曲「出世灘」は何回も聴いた。率直な意見は飽きない作品だ。艶歌もいいが、力強く張りのある作品も西方の一方の魅力であることを今回の新曲で改めて感じた。生のステージでは盛り上がることは必至だ。ただ残念なのは新型コロナウイルスの蔓延で音楽界も活動が制限されていること。でも焦ることはない。じっくりPRしてほしい。長い人生には色々ある。忍耐も努力もいるが、今の時代背景から一番必要なのはどれだけ辛抱するかであろう。楽なものではないが芸能界という特別な世界にいるならこうした全てを実践しなくてはいけない。