年に2~3回帰省(岡山県高梁市)する。帰省する度に何故か少年時代のことを回想する。この時代を過ごした思い出と言えば山や川で遊んだことしか思い浮かばない。というより他に楽しみがなかったまでのことである。とくに夏になると清流成羽川でウナギやアユを捕った思い出は今もしっかりと脳裏に焼き付いている。そんな郷愁の念にかられ4年ほど前に故郷・高梁をテーマにした「高梁慕情」という作品を知人とプロデュースした。今も大変お世話になっている同じ高梁市出身で元京セラの代表取締役会長を務められ現在、高梁市の市政アドバイザーとしても活躍されている一方、このほど高梁市の名誉市民の称号が贈られた伊藤謙介氏に作詞を依頼した。作詞家の下地亜記子氏に補作をお願いし、作曲は聖川湧氏にお願いした。伊藤氏とは同郷というよしみから京セラの会長時代からお世話になっており、今も時々京都で食事を御馳走になる。また伊藤氏は「心に吹く風」など3冊の著書を執筆されているほか、今も新聞に新刊の書評を寄稿されている。

 私の故郷・高梁市は備中の小京都と呼ばれ、美しい山々に囲まれ中央部を旭川、吉井川と並ぶ岡山の三大河川といわれる高梁川がゆっくりと流れている。また、海抜430メートルにある「備中松山城」は現存する城の中で一番高い所にある山城で11~2月にかけては見事な雲海が楽しめ、観光客もどっと増える。人口3万人強の小さな町だが城下町として、また備中の中心地として栄えた。

 作品の経緯は、伊藤氏と雑談している中で生まれた。失礼とは思ったが、こちらから郷愁、哀愁を感じる詞をと注文を付けさせて頂いた。話はトントン拍子に進み、最終的にキングレコードのディレクターの計らいで井上由美子さんの「恋の川」のカップリングに収録して頂いた。ただ、音楽業界にいながらなぜもっと早く地元の歌を作らなかったのか、そんな反省もある。

 この作品が発売された年の11月には地元の高梁市文化会館大ホールで伊藤氏、井上由美子さん出席のもと「高梁慕情」のお披露目をした。以来、井上さんには事あるごとに高梁市を訪問して頂き、スーパーの特設ステージや催し物…等々にゲスト出演してもらい市民と親交を深めている。お蔭でCD・テープは地元だけで数千枚/本が売れたし、地元では知らない人はいないくらい浸透している。発売翌年には井上由美子さんが第一号「備中高梁“笑顔で”伝えたいし!」を高梁市の近藤隆則市長から委嘱された。この大使には「ボヘミアン」のミリオンヒットでも知られる葛城ユキさん(高梁市出身)もその1人。

 伊藤氏に京都で食事を御馳走になった後、必ず行く居酒屋がある。伊藤氏が京セラ創業当時から行きつけの店で、カウンターだけのこじんまりした店だが、訪問すると必ずカラオケで「高梁慕情」を伊藤氏ともども歌う。

 ♪別れの駅で ちぎれるように の歌詞はこの歌で1番好きなフレーズだ。私もカラオケに行くと高梁市のPRも含め、必ず歌う。故郷を思いながら熱唱?するが時々田舎の情景を思い出しながら涙することもある。年のせいだろうか。

 先日、仕事の関係で知り合った方と居酒屋に行ったところ、いきなり「高梁慕情」を歌い出した。高梁市出身でもないのに「どうして…」と尋ねると、私の名刺に高梁市出身と入っていたのでと。気配りのあるお方だな、と感心することしきりだが、そんな効果もあるもんだなと気分良く居酒屋を後にした。

文:金丸