仕事柄テレビの歌番組をよく観る。それも歌番組がめっきり減った地上波よりBS放送を観る機会が増えてきた。演歌・歌謡曲好きな記者にはその映像を観ながら昭和のいい時代の色んな事が走馬灯のように蘇る。ミリオンヒットも沢山出たし、市場自体もまさにバブルの時代だった。そんな市場をグイグイ引っ張ったのがサブちゃんの愛称で知られる北島三郎だ。年末の風物詩でもある紅白歌合戦から身を引いたという報道は衝撃的だった。「若手にチャンスを与えたい」というのがその大きな理由だ。若手よ頑張れと歌仲間の可能性を必死に引き出そうとする姿に演歌・歌謡曲への危機感を持っていたのでは・・・と想像する。
前置きが長くなったが記者は新聞記者時代そのサブちゃんの代表作でもある「なみだ船」を聞いたのが演歌にどっぷりと浸かった大きな理由だ。当時、記者は大阪・中之島のフェスティバルホール隣のビルに勤務。某業界紙で音楽を中心としたエンタテインメント面を担当していたこともあり色んなコンサートを観賞したり取材した。その中の1つがサブちゃんのコンサートだった。もう40数年前のことだと記憶している。最初の印象は「小柄だがその鋭く伸びのある高音」に正直驚いた。以来、大物歌手の座長公演の1つだった梅田コマ劇場などの公演に度々招待を受けたし取材もした。どんな質問にも実に丁寧に答えてくれたその姿は今もしっかりと脳裏に焼き付いている。
先日BS-TBSを観る機会があった。タイトルは「北島三郎特集 昭和歌謡ベステン」。途中からだったが興味深く観た。10位からの紹介で、番組には娘婿の北山たけし、原田悠里、そして鳥羽一郎などが顔を揃えた。
 上位5位を紹介する。5位「与作」、4位「まつり」、3位「兄弟仁義」、2位「風雪流れ旅」、そして堂々と1位に輝いたのは「帰ろかな」だった。記者には意外?な結果だった。初めて聴いたあの衝撃的な「なみだ船」がもっと上位に来るのでは・・と期待していたが予想は見事に外れた。「帰ろかな」には郷愁や哀愁を温もりのある歌で包み込んでいく歌唱はまさに北島三郎の真骨頂だ。番組では鳥羽一郎が歌った。その鳥羽の熱唱する姿を観ながら「やっぱりいい歌だねぇ~」と呟いたものだ。
 数年前まで紅白歌合戦の常連で何度も大トリを取ったサブちゃん。流しに始まりデビュー後は演歌隆盛を極めた第一人者といっても過言ではない。長年多くのファンに支えられたのは歌は勿論だが、その人柄であろう。とくにメディアへのサービス精神は誰よりも旺盛だった。
強い意志と豊かな感性、そして燃え上がるような情熱を持って演歌界に真正面から立ち向っている姿は世代を越えて愛され続けているゆえんである。演歌界は男女とも新旧交代が確実に実現している。ポスト北島三郎?・・・何故か頭に浮かばないのは記者だけだろうか。

文:金丸