先日あるBS放送で小林幸子の特集を偶然に見た。彼女とは現役(新聞記者)の頃取材を通じ親交があったがもう随分と会っていない。が、名前を聞くにつけ「どうしているんだろう」と当時のことを回想する。デビューは10歳というからもう芸歴は50年を超す。決して平坦な道のりではなかった。不遇の時代も長かったが、紅白歌合戦で見せたあの豪華絢爛な衣装は今も語り草になっている。あの衣装で今なお出演していたなら紅白ももっと数字が取れたのに、と推測するのは記者だけではあるまい。今なお存在感があるのは芸達者ゆえだ。

売れない時代に芸名を岡 真由美に変えたらしいが、すぐ元の小林幸子に戻したと番組は伝えていた。不遇の時できっと「心機一転・・」―そんな心境にあったのだろう、と想像する。なにしろ10歳のデビューだっただけに少女からの脱皮に相当な時間を要したのは明らか。しかし、不滅の名曲となり出世作ともなったのが200万枚を突破したあの「おもいで酒」だった。番組の中で彼女は「私の人生を変えた作品」と語っている。

当時、記者はその「おもいで酒」に携わったレコード会社(大阪営業所)の宣伝マンと親しい仲だった。その彼が連日連夜、ヒットに向け宣伝活動に汗を流し奔走していた姿が懐かしい。番組でも伝えていたように当初はカップリング曲、つまりB面扱いだったが、京阪沿線などの有線放送でリクエストが日増しに増え、発売元のワーナーパイオニアが急きょA面として再発売したのが「おもいで酒」の誕生秘話だが、もう1つヒットした要因が隠されていた。ずばりカラオケである。ちょうどカラオケというメディアが市場に根付き始めたころでこの年(昭和54年)はこの「おもいで酒」に加え、金田たつえの「花街の母」、そして渥美二郎の「夢追い酒」という3作のミリオンヒットが生まれ「演歌復権の年」と業界は沸いた。そんなことを目のあたりに「カラオケの力」を痛感したものだ。
今から約20ほど前に「流行歌最前線」(夕刊紙)という連載を依頼され小林幸子を取材したことがある。その時の記事にこう記している。「いつまでも小林幸子でいられることが目標であり、これからも何にでも貪欲にトライしていきたい」と。

事務所の独立では週刊誌やスポーツ紙に色んなことを書かれたが記者の見た当時の小林幸子はいつ合っても愛嬌たっぷりの笑顔が印象的だったことを覚えている。環境はどうあれそろそろ守りに入るキャリアだが、歌で再びスポットライトを浴びてほしいね。

文:金丸