歌手の中には色んな経歴の持ち主がいる。船員、長距離トラックドライバー、バスガイド、国鉄マン(JR)等々を経て憧れの歌い手になった人は多い。そんな1人が渡辺 要だ。香川県・高松市で寿司職人として、また経営者として手腕を振るっていた。全盛期には7店もの寿司店を経営。天皇・皇后両陛下が香川県にご来訪の折、新鮮な御鮨を献上したこともある。以来、寿司職人と歌手の二足の草鞋を履く生活だったが、デビュー10年目の平成14年に店を閉め歌手業に専念。吉本興業の演歌歌手第1号として君臨したこともある。

デビューはしたもののヒットに恵まれないまま時は過ぎていくが、平成19年に発売した「大間崎漁歌」のヒットでようやく名前が演歌・歌謡曲ファンの間で知られるようになった。ただ偶然のヒットではない。デビュー以来コツコツと全国行脚をしながらマネージャーと二人三脚でカラオケサークルやCDショップを訪問する戦略に出た。ヒットへの布石だった。そんな戦略が奏功した。

演歌界ではもう当たり前というよりこの戦略を踏襲しないと実績は挙がらない。ポップスのようにマスメディアに乗せて一気呵成とはいかない。渡辺に限らず、ヒットの裏にはそうした積み重ねがある。勿論、ただ回ればいいというわけにはいかない。作品が傑作であること、歌唱力とテクニックなど歌手にとっての必須条件が揃って初めて大きなヒットになる。渡辺の持ち味は力で押していく迫力に加え、表現に男の色っぽさをにじませた、つまり男の色気が最大の魅力と見た。

昨年、KOBE流行歌ライブに出演してくれた。着流し姿もすっかり板に付きベテランの貫禄さえ感じさせる堂々のステージだったし、その軽妙なお喋りと歌で会場一杯に埋めたファンを暖かく包み込んでいく様は圧巻だった。ステージでは「王将物語」に始まり「男の浮き世川」、「女のちぎり」、「火の国男節」と続く。そして最後は昨年の11月に発売した新曲「母は今でもこころの港」(作詞:新條カオル/作曲:すがあきら/編曲:伊戸のりお)を熱唱した。この作品は制作者サイドに「亡くなった母親の歌を歌いたい」と直談判して制作された。記者も渡辺同様に母親への思いは同じだ。もう何回か渡辺のステージでこの作品を聴いたが、聴くたびにこちらも熱いものを感じるし、「親孝行をしないと・・」―そんな衝動に駆られ同時に母の懐に抱かれたような温もりさえ感じる。

いつの時代も渡辺の中で母親という存在が今なお鮮やかな光を放ち、そして輝き続けているのではないか、と想像する。ボランティア活動や身体障害者などへの支援も積極的だが、いい時代にしっかりとしたエネルギーを蓄えもっともっと高い目標にチャレンジしていけば必ずやいい結果と同時にいい変化をもたらすはずだ。

文:金丸