歌謡界が大いに賑わった昭和の時代。ミリオンヒット(100万枚突破)も沢山出た。(当時)新聞記者として第一線でブイブイ? 言わせた時代もあった。決して自慢しているわけではない。たまたまいい時代に偶然、遭遇したまでのことだ。昭和のいい時代の音楽業界はヒットが出たり、新人がデビューしたら必ずといっていいほど一流ホテルでメディアやCDショップを招待してパーティーが行われた。勿論、帰りはお土産付きだ。良く頂いたのは時計、傘、お菓子が上位だったが、中には特別注文の鞄やTシャツもあった。数年前に自宅の倉庫を片付けていたら傘(約10本)の他、コーヒーカップ、タオル…等々。変わったものといえば包丁セットが?一瞬戸惑ったがすぐ判明した。岡 千秋が北野まち子のデビュー曲にと作曲した「包丁一代」の発表会でのお土産だった。数十年経っていたが錆もなくピカピカの状態だった。きっと上等な品物だったのだろうと想像する。
また、ご当地ソングが発売されると一部の記者だが現地に取材に行ったものだ。新潟、九州、山陰、秋田…。勿論、アゴ(業界用語で泊まり)、アシ(同電車賃などの交通費)付き。夜は飲んで食べての大宴会。記者は都合で行けなかったが海外招待もあった。

いい時代だったとはいえ誰が見ても度が過ぎる?「おもてなし」もあった。今でも記憶に鮮明に残っているのが、ある大物歌手兼役者との飲み会。新聞記者を対象に昼はゴルフだったが記者は仕事の都合で欠席。夜の部、つまり飲み会に出席した。大阪の繁華街・北新地で深夜まで大騒ぎをした。お呼びが掛ったのは当時その歌手が所属していた大手レコード会社からだ。
まずは新地の台湾料理店で腹ごしらえ。それからが大変。二次会のスタートはその大物歌手が行きつけのクラブ。もう随分昔のことでクラブの名前は覚えていないがホステスさんは結構年配が多かったと記憶している。まず登場したのがワイン。場所が場所だけに「相当高いなぁ」と呟いたような記憶がある。後日レコード会社のスタッフから聞いた。一本のお値段は…5万円だと。その後何を飲んだのか記憶はないが、多分好きだったウイスキーかブランデーを飲んだように思う。
その店に何人か残り記者は気のあったスタッフとスナックを数店はしご。店名や場所はもうすっかり忘れたが北新地のそれなりの店だった。こちらは次の日が仕事だったし、レコード会社の偉い方と自宅の方向が同じということで深夜タクシーで送ってもらった。当然、タクシー代はメーカー持ち。勿論、手土産も貰った。それも豪華なものだった。
当日の大宴会の話題は業界にも知れ渡った。それから数日後、世話になったレコード会社を訪ねたところ、「200万円の請求書が来た」と聞きびっくり仰天。レコードメーカーが払ったのか事務所が払ったのかは定かではないが、どっちが払うのか随分もめた、そんな噂も聞いた。接待費がほとんど使えなくなった厳しい今の業界では考えられない金額。当時を回想しながら「ほんとうにいい時代だった」と。

文:金丸