【歌手道】五千円のギャラ:失語症の男性が言葉を取り戻す
<一>宮路オサム
―オサムちゃん!
―はいよ、みんな元気か。お互いに元気にこれからも楽しく生きていこうぜ!
昭和の大ヒット曲「なみだの操」を歌い続ける宮路オサムの舞台は、こんな調子で始まる。親しみを込めたため口で聴衆の心を瞬時につかみ取る。いま一線で活躍する歌手の中でも数えるくらいしかいない、本物のエンターティナーだ。
これまでに生死をさまよう二度の大病をした体験から「生かされている感じがするんだ。だから自分のできることで恩返しをしたい」と思い立ち、地方の自治体からの要請などを受け老人ホームなどの慰問を精力的に続けている。
そんな活動を知ってだろうか、愛知県の女性から手紙が届いた。そこには「私は93歳のおばあちゃんです。老人ホームに暮らしています。オサムちゃんの大ファンです。私たちの老人ホームに来て歌ってください」と短い文章が書かれ、封筒の中には五千円が同封されていた。これを見たオサムちゃんは苦笑いをしながら事務所のスタッフに「愛知に行くぞ。用意して」と指示。これに対しスタッフは「5千円じゃ、よそのホームと比べて問題になります」と尻込み。確かに交通費もまかなえない額で、スタッフの主張は正しい。それでもオサムちゃんは「だけどさあ、既にギャラを受け取ってしまったからなあ」「待っていてくれる人がいるのなら行かなくちゃ」と決行。
別の老人ホームでは一つの奇跡を経験。いつものように「なみだの操」を歌っていると、前列のマスクを掛けた男性がもぐもぐと口を動かせている。気になったオサムちゃんが歌を途中でやめ、その男性に近寄り、側で介護していた奥さんに訳を聞くと「主人は数年前から失語症でしゃべれない」という。「奥さん、でもご主人はいま歌っていましたよ」といっても奥さんは「そんなこと」と信じられない様子。オサムちゃんは奥さんの手厚い介護に本人は自らの意志を引っ込めていたのだろう思い、「なみだの操」を歌い直すと、男性はこれまで以上にはっきり口を動かし、オサムちゃんと一緒に歌い始めたではないか。かたわらの奥さんの目に涙があふれ出したのはいうまでもない。
そんな出来事の一つひとつが、いまオサムちゃんの財産であり、慰問を続ける活力を生み出している。オサムちゃんは「いまはっきりとした目標がある。同世代の高齢者のアイドルになりたい。こんなオヤジがアイドルになったらおもしろいだろう」という。かつて18歳ごろの初恋から今までを歌った新曲「一万八千五百日」を携えて、きょうも老人ホームはじめ介護現場への慰問を続けている。
*2018年3月25日(日)神戸・垂水レバンテホールで開催される赤い羽根共同募金「宮路オサム 角川 博 チャリティーコンサート」(12:00・16:00開演)に出演する。