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「夢を売るのが我々の仕事・・・」演歌について熱く語っているのは数々のヒット作品を持つ作曲家の伊藤雪彦氏。このほど仕事で来阪。ハードスケジュールの合間をぬって短い時間だったが演歌の現状などについて作家としての持論を語った。

「演歌市場は年々厳しさを増している。メーカーの体力不足、CDショップの減少・・等々色々な要因がある」

 

――演歌の現状を作家としての立場からどのように見ているか。

伊藤 おっしゃるように演歌というくくりで市場を見ると厳しいことは事実だ。しかし、業界はこういう時こそ切磋琢磨してこの難局を乗り切らなくては道は開けない。このジャンルのファンは年配の人が圧倒的に多い。しかし、一方では若い層にもアピールし、また大切にしていかないといけない。我々作家陣は斬新な作品を世に送る事が不可欠である。世界で一番情緒で魅力のあるのは日本語である。

「日本が生んだ20世紀最大の娯楽文化に成長したカラオケ。世に出てもう長い。演歌市場を支えているのはカラオケ愛好家といっても過言ではないし、この業界に身を置く1人としてカラオケの存在感の大きさを肌で感じている。CDショップの減少で商品の販売はカラオケサークルやカラオケ喫茶がターゲット。コツコツと商品を売り同時にカラオケで作品の浸透を図るといった手法が定着した」

 

――カラオケが世に出て以来、とくに演歌系の作品がカラオケに迎合し過ぎている、そんな指摘もある。作品を作る上で先生はカラオケを意識しますか。

伊藤 カラオケが世に出てかれこれ40年。ブームから文化へと移っている。カラオケが今日の演歌市場の底上げをしたことは事実だろう。私自身も作品を作る時はカラオケを意識する。ただ、斬新な作品を作るにせよ昔のいい時代の作品を研究しお手本にしなくてはいけない。例えば、古賀メロディーであり服部メロディーである。未だにこうしたメロディーが歌い継がれている。

「完成度の高い作品にはいい詞といいメロディーが不可欠である。以前、ある作曲家に聞いた話だが、いい詞であればメロディーも早くできる。そんな話を聞いたことを思い出した」

 

――作曲家の立場としてやはり詞の存在は大きいですか。

伊藤 その通り。作家によって異なるがいい詞があればもうその時点でメロディーは出来上がっている。ただメロディー先行という作品もそれなりにある。例えば五木ひろしさんに書き下ろした「汽笛」と、原田悠里さんに書き下ろした「木曽路の女」はその代表である。とくに「汽笛」については担当ディレクターから、とにかくマイクを取り合うぐらいの作品を作ってほしいと頼まれた。これには正直参ったね。五木さんという大スターの歌だし私にとって作家として大きなチャンスだった。しかし、なかなかいいメロディーが出てこないし、いい言葉が見つからない。もうディレクターに土下座をするしかない、と腹をくくっていた。書店に出向き、新刊の目次を片っ端しから読みあさったり色々と走り回った。そんな時、中野駅の階段を降りているとき、「ちょっと待って振り向かないで」そんな言葉がせひらめいた。ひと言だがこれだ、と1人で叫んだね。あとは、今は亡き木下龍太郎先生に素晴らしい詩を書き下ろしていただいた。

「演歌全盛期の頃には演歌の本場といわれどこよりも演歌の土壌があるといわれた大阪だが、CDショップの減少に加えイベント等々の旗振り役も年々弱体してきた。つまり本物を見抜く目と耳を持つプロが少なくなったということだろう」

 

――大阪は演歌に強い、と昔から言われていますが先生が大阪に来られてそんな印象はありますか。

伊藤 以前はテイチクのカラオケ制作で毎週大阪に来ていた。大阪は道頓堀とか通天閣、中之島等々、浪花八景があり演歌に馴染みやすい土地柄でもある。庶民的で食べ物も美味しい。また、大月みやこさんや天童よしみさんなど大阪出身の歌手も多い。大月みやこさんの「大阪ふたりづれ」という作品は大阪で出来た。これから機会があれば是非ともこれだという大阪ものを作ってみたい。

「伊藤氏はこの世界に入ったときは東芝楽団でアコーディオンを弾いていたという。その時期はアレンジャーとして活躍。作曲家としては「汽笛」や「白い海峡」など多くのヒット曲を持つ文字通りのヒットメーカーである」

 

――最後に作曲家としてひと言いただきたい。

伊藤 この仕事には波がある。粘り強さと勇気がいる仕事だし、夢を売る仕事でもある。商品をたくさん売ってCDショップに儲けてほしい。CDショップが儲かれば、レコードメーカーも儲かる。そして我々作家も利益につながることになる。最後に日本の言葉の魅力をお客さんに差し上げていきたい。それが作家としての願望です。

インタビュー:金丸